筑前藩主黒田家墓
福岡市指定遺跡 筑前藩主黒田家墓もあります。
福岡は黒田52万石の黒田長政公の城下町として栄えてきました。

東長寺には、江戸時代第2代黒田忠之公の帰依を受け、黒田家の菩提寺となり300石の寺領と山林15万坪の寄進がなされました。

本殿向って左側に位置しています。墓地には2代忠之、3代光之、8代治高の墓があります。

黒田 忠之(くろだ ただゆき)は、筑前福岡藩の第2代藩主とは
慶長7年(1602年)11月9日、初代藩主・黒田長政の長男として福岡で生まれています。 織田信長、豊臣秀吉に仕えた黒田官兵衛の孫に当たります。 元和9年(1623年)、父の死去により家督を継いで藩主となりました。 このとき、父の遺言で弟の長興に5万石(秋月藩)、高政に4万石(東蓮寺藩)を分知した。これにより石高は41万2千石となったそうです。
寛永9年(1632年)に家臣の栗山大膳(栗山利章)と対立し、利章に「黒田氏に謀反の疑いあり」と訴えられてしまいます。 これが黒田騒動であり、黒田氏は改易の危機に立たされたが、幕府が利章は「精神的に異常である」と裁断したため、改易は免れました。
承応3年(1654年)2月12日、福岡で死去。享年53。後を長男の光之が継ぎました。